中部電力のあゆみ(映像紹介:2012年1月制作『20年目の真実』)
【2】キャンペーンの始まり
第一の手がかりは社内資料の中にありました。初めて「緑のカーテン」という言葉が登場した1992年(平成4年)の決裁書。私達はその書類を作成した、後藤さんに会いに行きました。
ナレーション
中部電力では1992年、平成4年の決裁書の中に「緑のカーテン」という言葉が初めて登場します。さっそく決裁書を作成した後藤さんという人物を探して、当時の事情を聞くことにしました。
後藤英文(ひでのり)さんは現在、中部電力の関連会社に勤務しています。
後藤英文さん
懐かしいですね。確かに「緑のカーテン」キャンペーンを始めたのは私です。
ナレーション
後藤さんはキャンペーンが始まる1年前、1991年に広報部の配属となりました。
後藤英文さん
当時は夏の昼の電気の、電力需要がうなぎのぼりでしたよね。省エネとか、ピークカットっていうのが会社としての重要な課題でした。
ナレーション
昭和の終わりから平成にかけて日本はバブル景気に沸き、電力の消費もぐんぐんと伸びていきます。8パーセントから10パーセントが適正と言われる電力予備率も、平成2年にはついに2パーセントに迫りました。1日の中で電力ピークは午後1時から4時です。特に最大電力を記録する夏のピークカットが、電力会社にとって最大の課題でした。そんなある日、後藤さんは技術開発本部から送られてくるレポートを目にします。
後藤英文さん
偶然「緑のカーテン」の記事を見ましてね。2割から3割の省エネ効果があると書いてありまして、電話で「本当か?」って聞いたら「本当だ。」って言うんで、じゃあ今年の夏の省エネPRに使おうってことで始めました。
ナレーション
後藤さんは「緑のカーテン」を使って、夏の省エネの企画を立てました。種を配るだけでなく、中部電力自身が「緑のカーテン」を育てることがポイントでした。
後藤英文さん
今の言葉で言うと“可視化”ですね。“見える化”ってことを考えました。「省エネをお願いします」って言うんじゃなくて、先ず自らが「緑のカーテン」に取り組んでみようと。本店ビルの南側に大きな「緑のカーテン」を設置してですね、それを見ていただくこと、それによって我々の考えていることがPRできるんじゃないかな、そんなことを思いました。
ナレーション
思わぬ苦労もあったと言います。
後藤英文さん
アサガオとかフウセンカズラといった種の選定から、その種を入れる袋はどんなデザインにしようかな、どんな色にしようかなと、まあ広報1年目のセンスの無い私がですね、色々苦労しました。まさに手作り作業でしたね。
ナレーション
お客さまにお仕着せになるようなことはやめよう、後藤さんはキャンペーンの方法にも配慮しました。
後藤英文さん
「緑のカーテン」フォトコンテストっていうものをしましてね、新聞広告を出しました。お客さまの家が緑で包まれた、そんなものの写真をですね、募集したんです。
ナレーション
最後に気になる質問を投げかけてみました。
<テロップ:Q「緑のカーテン」と名付けたのは後藤さんですか?>
後藤英文さん
いえ、私ではありません。私が読んだ記事にはもうすでに「緑のカーテン」と書いてあったと記憶しております。